目次

  1. 介護業界の現状:見せかけの安定と「三重の構造的格差」
  2. 調査データの持つ根本的な信頼性問題
  3. 規模の経済が職員の業務負荷を最大化する実態
  4. 現場に新たな負担を生む「デジタル化の格差」
  5. 令和9年度報酬改定に向けた構造改革の必要性

1.介護業界の現状:見せかけの安定と「三重の構造的格差」

令和7年度介護事業経営概況調査の結果(案)は、令和6年度の決算データに基づいた、介護サービス業界の経営状況を示す資料である。調査は、多くのサービス類型で税引後収支差率(利益率)がプラスであることを示しており、業界全体が形式上は安定しているかのように見える。しかし、このデータには、現場の仕事のしやすさやサービスの質に直結する「サービスの種類の差」「事業所規模の差」「デジタル化の差」という、三重の構造的な格差が潜んでいる。

介護事業の費用構造を見ると、その大部分が人件費で占められている。これは、職員の処遇改善は必要不可欠であるが、給与の増加がそのまま事業所の経営を圧迫する主要因となっていることを意味する。物価高騰が続く中で、この労働集約型の構造は経営の柔軟性を奪い、安定性という点で大きな懸念を残しているのだ。

2.調査データの持つ根本的な信頼性問題

この調査が、介護報酬改定の基礎資料となるにもかかわらず、そのデータには根本的な信頼性の問題がある。それは、有効回答率が著しく低いという事実である。調査対象となった事業所のうち、全体で46.2%、居宅介護支援に至っては39.3%しか回答していない。
この低い回答率は、経営状態が厳しく、調査に答える事務的な余力さえない事業所が、データに反映されていないことを強く示唆している。すなわち、公表された「平均の利益率」は、実際には経営が比較的良好な事業所のデータに偏っており、業界全体の本当の苦しい実態よりも楽観的な数値となっている可能性が高い。政策決定においては、このデータのバイアス(偏り)を強く認識する必要がある。

また、費用の項目を見ても、給与費以外の「その他」の費用が、サービスによっては全体の10%から20%を占めるにもかかわらず、その内訳が不明瞭である。これにより、光熱費高騰などの外部要因が経営に与える具体的な影響を分析することが困難になっている。

3.規模の経済が職員の業務負荷を最大化する実態

職員の日常的な業務の忙しさに直結しているのが、「事業所規模の差」である。調査結果は、実利用者数が多い大規模な事業所ほど、高い利益率を達成していることを明確に示している。これは、事務作業の集約や設備の効率的な利用といった「規模の経済」が働くためである。
しかし、この大規模事業所の高収益は、職員一人当たりの業務負荷を限界まで高めることで実現されている側面が強い。例えば、居宅介護支援事業所では、大規模事業所(実利用者数201人以上)の介護支援専門員一人当たりの担当利用者が、平均で63.1人という極めて高い水準に達している。これは、制度上の上限や加算要件を駆使し、職員が過重労働になりかねないギリギリの人員配置で運営されていることを示唆する。この過度な効率化は、短期的には利益を出すが、職員の疲弊や離職、利用者と向き合う時間の減少を招き、結果としてサービスの質を低下させるリスクを内包した構造である。

一方で、訪問介護などの小規模な事業所は、固定費の負担が重く、収支が赤字に陥る傾向が強く出ている。これらの事業所は、職員の待遇改善や新たな設備投資を行う余裕がなく、サービスの質の向上も困難な状況に置かれている。

4.現場に新たな負担を生む「デジタル化の格差」

介護業界におけるICT・AI活用の進展は、もう一つの深刻な分断、デジタル格差を生み出している。大規模で資金力のある事業所は、AIを活用したケアプラン作成支援システムや、タブレットによる記録、訪問ルート最適化などの最新技術を積極的に導入し、職員の事務負担を大幅に軽減し、生産性を向上させている。

しかし、経営基盤の弱い小規模事業所の多くは、こうしたICT・AIへの投資余力がなく、非効率な手書きや紙媒体での業務から脱却できていない。結果として、デジタル化が進んだ事業所はさらに効率を高め、職員の負担が減る一方で、デジタル化が遅れた事業所は非効率な業務に追われ続け、職員の負担が増大するという、生産性における二極化が加速している。このデジタル格差は、従来の規模による格差をさらに広げる要因となっているのである。

5.令和9年度報酬改定に向けた構造改革の必要性

この調査結果が示す「三重の格差」は、令和9年度の介護報酬改定において、表面的な数字に惑わされない構造的な改革が必要であることを強く訴えている。
まず、格差是正のために、訪問介護や小規模事業所など、公的な役割を担いながらも経営が厳しさを増しているサービス類型に対し、基本報酬の適正な引き上げや加算取得要件の緩和が求められる。次に、業務負荷の適正化のために、大規模事業所の高収益が職員の過重労働によって支えられている実態を是正し、質の高いサービスを提供できるための「ゆとり」を報酬として評価する仕組みが必要である。

そして、デジタル格差の解消は急務である。小規模事業所でも容易にICT・AIを導入できるよう、財政支援を強化し、すべての職員がテクノロジーの恩恵を受けられる環境を整える必要がある。最後に、政策決定の基礎となる調査そのものの信頼性を高めるため、有効回答率向上のためのインセンティブ設計や、費用・加算との関連分析を詳細に行うなど、調査設計の抜本的な改善が不可欠である。

厚生労働省 第249回社会保障審議会介護給付費分科会(web会議)資料

出典:厚生労働省 第249回社会保障審議会介護給付費分科会(web会議)資料

著者プロフィール

小濱 道博 氏

小濱介護経営事務所 代表
C-SR 一般社団法人介護経営研究会 専務理事
C-MAS 介護事業経営研究会 顧問

昭和33年8月 札幌市生まれ。
北海学園大学卒業後、札幌市内の会計事務所に17年勤務。2000年に退職後、介護事業コンサルティングを手がけ、全国での介護事業経営セミナーの開催実績は、北海道から沖縄まで平成29年 は297件。延 30000 人以上の介護業者を動員。
全国各地の自治体の介護保険課、各協会、介護労働安定センター、 社会福祉協議会主催等での講師実績も多数。「日経ヘルスケア」「Vision と戦略」にて好評連載中。「シルバー産業新聞」「介護ビジョン」ほか介護経営専門誌などへの寄稿多数。ソリマチ「会計王・介護事業所スタイル」の監修を担当。

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